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furicadodaisukeの日記

3児の父親として、こどもの居場所つくり、育児などできるだけ毎日書きたいです。

応答

応えると答える。

大事なのは「応える」でそれに比べれば「答える」なんて些細なこと。

そう若松英輔さんが、おっしゃっていました。

ほんと、そうだなあと思います。

 

とくに、子どもたちと接しているときに感じるのですが

子どもの関わりに即座に「応える」ことさえしていれば

それで十分だと思います。

 

適切な答え、その子の成長のための答え、大人としての答え

そんなの本当にどうでもよくて、ただただ、応える。

ことばなんてなくても、視線だけでもいい。体を向けるだけでもいい。

こどもに対して、真摯に応えることを大人ができていれば

子どもは十分、嬉しいんだと思います。

 

ぼくじしん、できていないことのほうが多いです。

向いたふり、返事だけしてみていない。

ちょっとずつ、できるようになりたいと思います

見守り

古民家を開放し子どもたちが、ほっとできる場所づくりをしています。

そこに来てくれる大人から言われて嬉しかったのが

「誰がスタッフかわからない」です。

 

古民家を開放しているときに唯一気にかけているのは

子どもたちを「見守る」で、少々のことは放っておいています。

危ないこと、汚いこと、ばかばかしいこと、など、子どもが集まると

大人が何か言いたくなることを必ずやります。

そこで、いちいち声掛け(注意)をしていたら、子どもたちは

「うるさいなあ」と感じて、ほっ、とできなくなると思っています。

 

注意や声掛けをしても、ほっとできるのは、子どもがそこの場所や人に

十分気にかけてもらって、応答的な関わりをもってもらい

十分な時間を重ねて関係ができてからだと思います。

 

だから、基本的には見守って、こどもからの何か訴えがあれば

それにできるだけ応える。

まずは、そんなことを大事にしていこうと思っています。

寝起きの次女はとてもかわいい。

3歳の次女の寝起きは、とてもかわいい。

ふだんも、かわいいが、寝起きの可愛さは、別格です。

お昼寝を十分にして目を覚ました娘は、眠い顔に少しはにかんだ笑顔で

横で寝ているぼくのほうに笑顔で、ふらふらしながらあるいてくる。

そして、添い寝をしてくれる。

 

ほっぺにスリスリしても嫌がらないし

くっついて離れようとしないし、

もうたまらなく、かわいい。

 

起きてしばらくたつと、だんだん動きも早くなってきて

言うことも、しっかりしてきて、かわいさ成分は減ってきます。

また、寝起きの可愛さを味わえたらいいなあ。

子どもと遊ぶこと

遊ぶことに限らなくてもいいんだけど。

子どもが、して欲しいとお願いをしてくることに、

すぐに応える人のことを子どもは好きです。

僕は「すぐに応えること」が苦手。

 

できれば、自分のしていることをずっとしていたい

例えば、本を読んでいるときに何かしてほしいと言われても

できれば、本を読み続けたいと思う。

うまく、断れたとき、ちょっと嬉しい気持ちになったりもする。

 

でもね、必ず、あとで後悔をするんです。

あーあのとき遊んであげればよかった、と。

そのせいで、自分がしていたことへの満足感も薄れます。

それが嫌だなあと感じることはできる。

 

だから、ちょっと無理をしても、気分が乗るときだけでも

子どもたちの要求に、すぐに応えようとしています。

それぐらいしか、できないんです。

 

子どもの居場所づくり①

子ども食堂をおととしの11月にはじめた頃は、

滋賀県内で10か所もなく見学にくる方や取材も毎月のようにありました。

そして、いま、見学にくる人も取材にくる方もほとんどいません。

 

こんなときでも、当初からご支援をくださっている方はご寄付をくださります。

みかん、野菜、お米など、活動の支えになるものを定期的にいただけることは

活動の金銭的な支えだけでなくて、続けていこう!という支えにもなります。

 

あの時よりも、内容も支援も充実している今のほうが外部からのくる人が少ない。

当初きてくれて、我々の活動を見てくださった方が、ふと思い出して

我々の活動を見たときに、ああ、あの時よりも充実した活動をしているね、と

思ってもらえるように、しっかりと時間をかけて活動をしていきたいと思います。

 

わっかHP https://bouken-asobiba.jimdo.com/

 

 

縁側

たくさんの親子が一緒に過ごしてご飯を食べるのはいいね。
自分たちが子育てをしていた頃は近所の同じように子育てをしている家庭の
縁側に子どもと一緒にご飯を持って行き、ご飯を食べて、
食べ終わったら、子どもたちはそのまま遊び大人は家事をした。
今はそういうことが、あまりないのかなあ。
と、わっかの昼食を作ってくださった60代の女性5人がテーブルを囲み話してくれました。
「僕はそういうのはほとんどないです」とお答えしてなんとなく別の話に移っていきました。

それから、なんで昔は縁側でみんなでご飯を食べたのかなあと考えていました。
そこで過ごす人たちにとって良いことがあるから、そうしていたんだと思うんです。
昔は、今より家事に時間がかり、余裕がなかったはずです。
そんな中、縁側で一緒にご飯を食べて、その後、子どもたちで子どもたちどおしで遊ぶのは
大人は家事ができて、ありがたいことで
子どもは子どもで大人の目が離れて、自由に好きなことをして楽しくて
大人にとっても、子どもにとっても、良い時間だったのかなと思います。

もしかしたら家事で忙しかった大人たちが、お互いさまだねえ、なんて言いながらしていたのかなあ。
そうだったら、いいなと思います。

ボクが娘たちとわっかで過ごすときも娘たちが子どもどおしで遊んだり、
他の大人と遊ぶことでボクのところから離れることがあります。
そのとき、子どもたちが楽しそうに遊んでいる姿を少し離れたところから見るのは、とても嬉しいです。
そして、短い時間でも、ほっ、とし娘たちが戻ってきた時は余裕をもって過ごすことができます。

昔は余裕をもつために、縁側でご飯を食べていたのではなくて、もっと切羽詰まっていたかもしれません。
でも普段、人との関わりが少なく日常的に縁側でごはんを食べあうことのないボクにとって
わっかで過ごすことは、とても大事な時間になってきています。
そして、そのとき、娘たちも笑顔で過ごしていることは
とてもうれしいことだなあと思っています。

市民活動①

子どもの居場所づくりをしています。

古民家の開放、子ども食堂などがメインです。

ありがたいことに、来てくれる子ども、大人がいます。

そして、応援をしてくださる方もいます。

補助金もいただいて、したい活動もできています。

 

でも、実際に自分が開放をしているのは月に1から3回程度。

それは、常勤の仕事や家庭があるので自分で決めてしていること。

だから、それに対して、不満はないのですが

動くよりも考える時間が多すぎてソワソワしてしまうことが多いです。

 

もっと、できるんじゃないか。

もっと活動できれば、充実したものになるんじゃないのか。

でも、それをして家庭で過ごす時間を減らしたくはない。

そらあ、活動はできないですよね。

 

このあたりでずっと、ウロウロして前に進んでいる感を得られていないです。