furicadodaisukeの日記

こどもが自由に過ごせる場所づくりを米原市で『わっか』という団体で代表しながらしています。普段は放課後等デイや短時間通所リハで常勤で指導員をしています。3児の親です。

できなさ、違いがかわいい。

次女4歳は8歳のおねえちゃんのしていることをじっと見ていることがある。
そして、それをふとした時に真似をしている。
その真似をすることが、ちょっと、できなかったり、やり方が違うのを見ていると
ああ、かわいいなあって思う。
おねえちゃんのすることを真似しようとして、だいたい出来ているんだけど
ちょっと違う、その違いにボクが気づいたとき、ああ可愛い、って思う。

 

コップからコップにお茶を、うつしているのを真似しようとするんだけど
入っているんだけどゆっくり入れようとしたり、量が多すぎてこぼす。
でも、本人はうつし換えられた嬉しさで、ニコッとしている。
また、食パンの耳を全部取って、耳だけ後からコーンスープなんかにつけて食べるときも、
耳をとろうとして耳以外の食パン部分が大きく取れているんだけど
コーンスープがつけられて食べた嬉しさで本人はそんなことは、もちろんどうでもいい。

 

こんなふうに、次女のおねえちゃんのすることの真似ができるんだけど、ちょっと違う。
でも、本人はそんなことは全くお構いなし!っていうのを見られるのが嬉しい。

はじめてのおつかいみたい

冒険遊び場から我が家まで100mの一直線。
次女4歳が『じぶんでかえる』と言い長男2歳と2人で帰る。
とちゅう、ちょっとした交差点があったり、歩道がないことが
頭によぎり『パパも行く』というが『パパはいい』と断られる。

 
2人に見られないように、後をついて行くと、家に問題なく着き
『ままー』と大きな声が聞こえる。
あらかじめ妻には、2人だけで帰ることは伝えてあるが
『2人だけで帰ってきたの?』と妻が聞き、

2人はバタバタ足音を出して喜こんでいるのが聞こえたので
ボクは安心して遊び場に戻った。

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スラスラ話ができすぎた。

なぜ居場所づくりをしているんですか?と聞かれたことに対して
お答えをしているときに、なんだか言葉がスラスラ出てきてた。
それが、あまりにスラスラ出てきてたことに話しながら気づき
ああ、ちょっとこれはまずいな、と感じた。

自分が子育てをしていて感じた「しんどさ」から、
冒険遊び場をはじめて、そして今に至る過程を話していたんですが
嘘を言ったわけでは無いし、本心を話していないわけでもない。
自分の固有の経験を話をしているはずなのに、スラスラ話せたのが
なんだか上手に話せた感じがして、しっくりきていない。

上手に話すことなんて、きっと問題でなくて

その場で、相手に応答しながら話すことが大事なんだと感じる。

80歳のおばあちゃんの話。

80歳ぐらいの女性が、お話を聞かせてくれた。

まだ小学生だったころ、いまぐらいの時期は学校が終わると、すぐに家に帰り

お米の収穫が終わった後のモミを干すのを行っていたの。

そして、近くの神社のえびす講(祭り)が勤労感謝の日あたりにあってお手伝いのご褒美にと両親が

私たちを連れて行ってくれて服を買ってくれたり、うどんを食べさせてくれたの。

普段は、外でご飯を食べることもなかったし、服を買ってもらうことも無かったから、それが、

とても嬉しかった。

という話をきかせてくれた。

淡々と、嬉しかった出来事をお話をしてくださったのを伺っていて、暖かい気持ちになった。

子育て支援というコトバ

例えば、一年に何回かある平日の振休を妻と合わせてランチに行くと

あさ、子供を保育園に送ってくるときの親の服装が仕事に行く服ではない、とか

親は休みなのに、子供を預けてやりたいことをして、とか

そういう視線を感じたり、言葉を聞いたりしますが。

 

そういうの、苦手です。

働きながら、子育てをしていて、それくらいのことですら親は許してもらえないのか

そんなに我慢をして毎日生活をしないといけないのか、と思います。

そんなとき思うのは、そういう考えを持つ人は、その人も、しんどい子育てをしたか

全く子育てをしていなかったかということなんです。

 

子育て支援ということで、保育園に預けられたり学童が充実したりしていますが

それて、まだまだ最低限の部分で、できれば、そこから精神的な部分に寄り添うことが

必要になってくると思います。

このまま、行政がすすめる支援ばかり充実していっても、個人の幸せにはつながらない

感じが、とてもします。

そこからは、一人一人が考えていかないことだと思います。

そして、一人一人を見ていかないといけないことだと、思います。

子育て支援がこのまま進んでいくと、

社会としては良くっても、一人一人にとっては幸せじゃないことになると思います。

親だって自分の幸せを追求してもいい!

自分が幸せでないと他人を幸せにはできない。
もっともっと親だって自分の幸せを求めていいはずです。

保育園に預けて、親はlaunchを食べに行くなんてどうなの?

とか、聞くことあるけど、そんなこともダメなの?って感じです。


じゃあ、こどもの幸せはどうなるの?と言われたら
こどもというよりは、まずは一人の人として尊重するよ、ってことだし
あなたのことを一人の人として尊重します、

だからお父さんだってじぶんの幸せを求めるよ、ってこと。

 

そうじゃないとボクが我慢しているんだから
あなたも我慢してよ、となるし、
大人だって我慢しているんだから
こどもも我慢しなきゃ、となるもん。

 

我慢をしちゃうと、相手にも求めます。

それよりは、自分が幸せになって子供も幸せになるほうがいい。

応答

応えると答える。

大事なのは「応える」でそれに比べれば「答える」なんて些細なこと。

そう若松英輔さんが、おっしゃっていました。

ほんと、そうだなあと思います。

 

とくに、子どもたちと接しているときに感じるのですが

子どもの関わりに即座に「応える」ことさえしていれば

それで十分だと思います。

 

適切な答え、その子の成長のための答え、大人としての答え

そんなの本当にどうでもよくて、ただただ、応える。

ことばなんてなくても、視線だけでもいい。体を向けるだけでもいい。

こどもに対して、真摯に応えることを大人ができていれば

子どもは十分、嬉しいんだと思います。

 

ぼくじしん、できていないことのほうが多いです。

向いたふり、返事だけしてみていない。

ちょっとずつ、できるようになりたいと思います