しゃーないかな、このままで。

自分の好きなこと、居場所づくり、子育てなどで感じ考えたことを書いていきます。

しんどさを感じる人はそのままなのに。

”夏休みとか、長い休みになると子供が朝から家にいるでしょ

朝起きてすぐに、今日どこに連れて行ってくれるの?と聞いてくるん

それが、毎日続くのが、ほんとつらい。

それが嫌で学童に預けたくて最初は働いていたけど

それも辞めたし、ああ冬休みがくるなあ”

 

子育て支援ってたくさんあるけど、全部小さい子供のためで

うちの子みたいに大きくなってくると、支援がない。

医療費無料だってありがたかったけど、最近病気をほとんどしないし

大きい子が遊べたり、行ける場所がないのが困る。”

 

”近くの子は学童に行っていていないし、

前は公民館が休みの時にイベントをしてくれたけど今はないし

なんかないかな。”

小学校中学年の子を持つ女性が話をしてくれました。

 

子育て支援の苦手さってこういう部分なんです。

支援という名の下で支援を受けたほうは、それが無くなったり

その恩恵を受けられなくなったなあと思うと、そのときのことを

思い出して、しんどくなるんです。

 

いま「しんどさ」を感じている自分と、それは変わらないんだけど

そのしんどさを周りが支えていてくれたときの自分を比べて

さらに「しんどく」なっていく。

 

支援っていうのはやる側にしたら「範囲」とか「対象」を

決めないとできません。

でも、子どもをもつ親は子どもの成長に伴ってその支援を

受けられなくなる。

寄り添うべき人は同じなのに、その人自身はそのままでも

子どもが成長したら支援を受けられなくなる。

子どもが成長したからって支援を受ける人はすぐには変わらない。

(小学校入学したからって、子どももだけど親もそんなに変わらない。

制度上の区切りがあるだけ)

 

子育て支援」っていうと子供をみていなくて親しか見ていない

そのことも苦手ですが、

親自身をも一人の人としてではなくって、子育てをしている人

子どもの親としてしか見ていないように感じるのも苦手です。

支援をされる側になった人は、そんなふうには割り切れないです。