しゃーないかな、このままで。

自分の好きなこと、居場所づくり、子育てなどで感じ考えたことを書いていきます。

7才の子どもらしい部分

昨日は長女の誕生日。

朝は、ハンバーグやパンなどのプレートごはん。

夜は、自分で選んだピザ、ケーキ、ジュース。

食べたいものを好きなだけ食べている娘は

大きな口を開けて笑顔でいてくれました。

 

7才になる娘は、ふだん話すことが少しずつ

しっかりとしてきています。

学校でのことでは、

「そういうことね」とそこにいなくても

娘の言いたいことがわかります。

 

でも、好きなものを食べているときの娘は

まだまだ、かわいいなあって思います。

食べたいはずのケーキも、食べすぎちゃって苦しくなって

それでも食べたいから、がんばっている。

 

こういう

親が子どもに見せてもらえると嬉しくなる

こどもっぽいことが、これから、

どんどん減っていくんだろうなあ。

 

たまに、思いっきり子どもっぽい部分を

見せてもらえたら大事にしていきたいなと思います。

人を変えようと意見して、それができた試しがないよ

小1の娘に対していろいろ小言をいってします。

「早く準備しないと学校間に合わないよ。」とか

「部屋の片づけ、できてないやん」とか

だいたい、娘は「わかった」ではなくて、

「間に合うって」とか

「自分の出した分はしたもん」と

返事をしてきます。

 

うーん、どうしたら言わなくてもよくなるのかなあって

毎日、思ってはいても言ってしまう。

昨日

MBSラジオ1179ポッドキャスト | 内田樹&名越康文の 辺境ラジオ

聞いていて、うわあ、こういうことかもしれないっていうことがありました。

それは

「人を変えようと意見して、それができた試しがない」ということです。

ぼくの娘への小言にはこれが含まれていたんだと思うんです。

 

「早く準備しないと学校間に合わないよ。」は

早く準備できる娘になってよね。

「部屋の片づけ、できてないやん」は

片づけをパパができたね!って思えるぐらいできる

娘になってね。

というように。

娘はその部分を敏感に感じ取っているのかなと思うんです。

 

でもね、これって娘だけじゃなくて

いろんな人と話をするときに無意識にしているだろうなって

おもうので、毎日意識してみます。

 

自分がされて嫌なことはしないでおきたいな。

 

 

できること、やるべきこと、やりたいこと

ほぼ日さんの山田ズーニーさんの記事

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。の中の

できること、やるべきこと、やりたいこと

が気になっています。

 

こどもが、遊んでって頼んできた時に「ちょっと待って」というのは

やるべきことをせずに、やりたいことをしている、のかも、って。

もし、そうだとしたら、もやもやするなあ。

やりたいことだけをしているって違うと思うから。

でも、うーん、そもそも子どもと遊ぶことは、やるべきこと?

やりたいことのほうが、実はやるべきことだったりしない?

 

このあたりで、うわあ!ってなって考えが止まっています。

 

ぼくが頭だけで考えるいいなあっていうのは

子どもとのやるべきことをしているうちに

できることが増えてそれで相手も喜んでくれる

その、できることを通じて自分のやりたいことが広がっていく。

こうなったら子育てってすごく楽しいんじゃないかって。

(実行できないけど・・・)

 

でも、自分のやりたいことが広がっていかないと苦しいのでは

やっぱり子育てそのものがしんどいといことにもなる。

 

そうだとすると、やるべきことが自分のやりたいことと

一致するように考えないといけないのかなあと思う。

子どもが笑顔でいてくれる、それは間違いなく嬉しい。

それが自分のやるべきことなんだろうなあとは思う。

じゃあ、少しずつ、それができるようにしていきたいと思います。

 

シャボン玉あそび

おとといの休日。

子どもたちとシャボン玉をしました。

しばらくしていなかったなあ。

 

子どもたちは遊びます。

まず、筒の中にストローを入れてシャボン玉。

口で吹いていたかと思うと、回ってみたり走ってみたりして

シャボン玉を作ります。

大きなシャボン玉が作れると気づくと、

そーっと息を吹いてチャレンジ。

 

そうこうするうちに、作るだけでなくて

作ったのを他の人が割り出す。

手で割っていたのが足で割るようになる。

そして、自分で作ったシャボン玉を自分で割るようになる。

最後は自分でこぼしたシャボン液に滑ってこける。

 

いやあ、シャボン玉だけでこんなにたくさん遊べる

子どもってすごいなあと思う。

1つのもので自分たちでいろんな遊びを見つけ出す、

見ていて楽しかったです。

娘の気持ち。

昨晩、小1の娘が布団に入って寝る前に妻に

布団に行くまではママと一緒に寝たいと思うのに

布団にくると、そこまで思わないのはなんでなんだろう?

と聞いていました。

 

隣の芝生は青く見える、とか

隣の花は赤い、とか

そういうことわざを知らない娘の素朴な疑問に

寝る少し前、温かい気持ちになれました。

 

ことわざを知っている僕は

娘のその気持ちを横の布団で聞いたとき

すぐに、そのことわざを思いついてわかったような気になっていました。

それは、隣の芝生は青く見えると一緒だよって。

 

でも、それってなんの説明にもなっていない、

娘のそのよくわからない気持ちの説明としては。

娘が疑問に思っているそのまま、娘には

わかったような気にならずに、まるごとを

持っていてほしいなあと思います。

 

隣の芝生は青く見えるは、

布団に行くまではママと一緒に寝たいと思うのに

布団にくると、そこまで思わない

と似ている。

 

なんで?

2歳の娘は「なんでなん?」にはまっています。

「パパなんでコーヒー飲むん?」
「美味しいから」
「なんでなん?」
「美味しいからだよ」
「なんでなん?」
それが、「なんでズボンはくの?」とか
パターンを変えて度々はじまります。

「なんで?」をとても嬉しそうに使うのがいいなって思うんです。
ぼくが「なんで?」って聞くときは攻撃的に聞いています。
娘のよう100%混じり気なしの好奇心で使ってないなあと。

自分の「なんで?」の使い方の嫌な部分を気づけた娘の「なんで?」でした。


待ってばかり、言ってるんだなあ

おとといから、娘や息子からみると

おばあちゃんが、遊びに来ています。

 

小1の娘「おばあちゃん帰ってほしくない」

ぼく「なんでなん?

小1の娘「だって、おばあちゃん楽しいもん」

ぼく「何が楽しいの?」

小1の娘「おばあちゃん、遊んでくれる」

ぼく「遊ぶなら、パパだってするやん」

小1の娘「おばあちゃん、すぐ遊んでくれる」

小1の娘「パパやママは待ってばっかりやん」

小1の娘「だから冬休みの絵日記も書くことなかった」

 

ああ、なるほどねえ。

娘が、遊んでとか、本読んでとかお願いをしてきた時に

「ちょっと待って」って言ってるなあ。

 

それが、こんなに娘にとって大きなことだったんだなと

娘の口から言われて気づきました。

娘のお願いをできることは、すぐにしようと思いました。

 

おばあちゃんは今日、帰ります。