しゃーないかな、このままで。

自分の好きなこと、居場所づくり、子育てなどで感じ考えたことを書いていきます。

音のなる絵本とむすめ。

よる、とっても眠くなったとき2才の娘は自分から

「ぱぱ おふとん いこう」と誘ってくれます。

そのとき一緒に、ふとんに持っていくのは、

動物の声のでる、えほん。

 

らいおん、ねこ、おさるさん、ぞうの

声がボタンをおすと出ます。

らいおんを押すと「がおぉぉぉっ」です。

 

おふとんに入ると娘は、さっそく

らいおんのボタンをうれしそうに押します。

すると、ぱぱは「こわっ」

むすめは「こわいの?ぎゅーしたろか」と抱いてくれます。

ぱぱは「ありがとう、大丈夫だよ」というと

むすめは、おさるさんを押し

パパは「おさるさん、こわくない」

そして、むすめは、ねこのボタンを押し「こわっ」といい

こんどは、パパが、ぎゅーっとします。

 

むすめが、自分から寝るのをさそってくれたときは

このやりとりを2回して、むすめは寝ます。

パパもたいがい一緒に寝てしまいます。

 

このやりとりをして、うとうと寝そうになる娘を

みているのは、嬉しい時間です。

 

市民活動。ちょっと子育ての話からより道①

相手の顔がみえることをしたほうがいいよ。

これは、わたしが地域で活動をするにあたって

大切にしている言葉です。

 

ちょっとでも何かを始めたくなったとき、

それって、今の自分にとってやりたいことだから

すぐにでも始めたくなるんです。

それが、市民活動の楽しさです。

でも、そこで一度止まるようにしています。

 

これを必要としている人の顔が思い浮かぶかと・・・。

 

これが結構、思い浮かばないことあるんです。

そうだと、私一人のやりたいことになってしまうので

市民活動として、やらないほうがいいってことになります。

 

やりたいことをやってもいいと思うんですが

それよりも、やるべきことをできたほうが楽しいと思います。

しあわせな時間

お布団で娘とすごす時間が幸せです。

今日は何が楽しかった?とか

何が美味しかった?とか

そんなことを聞いている時間がすきです。

娘たちにやさしくなれる時間です。

 

日中はイライラしてしまったり

娘たちに、あたってしまうこともあります。

 

日中、もっと優しくしてあげないといけないのでしょうが

できない僕の唯一やさしい時間です。

この時間だけでもやさしくいてあげたいです。

みかん大好きな2才の娘。

2才の娘はとっても食べることが好きです。

朝も、起きてすぐに「今日のご飯なに?」と聞いてきます。

そして、「おみかん、たべる」と言い、みかんを食べはじめます。

みかんが旬をむかえてから、こんな感じです。

 

きっと、みかんが大好きなんです。

すこし前までは毎朝2こ、かならず食べていました。

それは食べすぎということで、1こで我慢してもらっていますが

1こになってから娘は、みかんの余韻をたのしむために

あることをはじめているのに気づきました。

 

それは、たべたあと、ずっと口の中にみかんを入れている。

食べおわって、手を洗って、部屋で遊ぶようになってからも

ずっと口の中にみかんを入れています。

口を少しふくらませて、やや笑顔でずっと遊んでいます。

 

ぼくが「口になに入ってんの?」と尋ねると

あーっと口を開けて、みかんを見せてくれます、うれしそうに。

ぼくが「はよ、ごっくんしいよ」といっても

ずっと口に入っています。

そして、言うのを忘れてあらためて気づいたときには

飲み込んでいます。

 

大好きなみかんが2こ食べられなくなってから

娘は口のなかに、いつまでもみかんを持っておくことで

大好きなみかんとの別れを少しでも後にしています。

それが、かわいいなあっていつも思います。

さぶぅい

天気予報を見ていたら今日は雪のマークが付いています。

私の住む滋賀県にもやっと雪が降るのかもしれません。

これだけ暖かいと農作物への影響がでるんじゃない、と

教えてくださる方もいました。

 

その天気予報で「これでやっと平年並みの気温です」という

アナウンスがありました。

いままで、暖かかったので寒く感じますが

平年並みですよ、と教えてくれています。

昨日から寒いなあと縮こまっている僕は

そういうものですか、と聞いていました。

 

でも、いや、そういうことでは、ないぞと思うんです。

それは、この暖かさになれている僕にとって

例年、もっと寒いぞって言われたって関係ないんですね。

今年の暖かさがもう例年の感覚になっていてしまっているのです。

だから、とっても寒くて、

周囲にも寒い寒いとあいさつ代わりに言いたいのです。

 

去年とか、おととしと比べて今年の気温は〇〇です、って

この寒い寒いと感じる私には、

おまえ!普段はもっと寒いんだから、何をいっているんだ!

と気合を入れられているみたい。

足が大きくなった娘

「足が痛いから靴買ってよ」と小1の娘が言います。

いいよ、新しい靴買おうか、といって新しい靴を買う。

これって、いいなあって思うんです。

 

まず、ぼくはもう、足が大きくなるから足の指がいたい、って

もう、感じることができません。

でも、娘を通じて「そんなことあったんだろうなあ」と

思い出せないけど、思えることが嬉しいんです。

 

新しい靴を試し履きして

足をもぞもぞさせたり

たどたどしく歩いてみたり

うん?って首をかしげてみたり

僕のほうを伺ってきたり。

その動きをみているのも嬉しくなってくる。

 

これから、娘や息子から何度もこの言葉を聞いて

かわいい動きを見れるかと思うと

嬉しい反面、もう自分は感じること、することができないことに

ツンッと鼻の奥が痛くなりました。

子どもが好き

なぜこの仕事をしているのですか?などの答えで

子どもが「好き」です、って

昨日聞くことがありました。

ぼくは、他人が言うのを聞くと心がザワザワするんです。

自分では何とかその言葉を使わずに子どもと関わる仕事を

なぜしているかというようにしています。

 

なんでなんだろうって思うんです。

なんで、ザワザワしちゃうのかって。

好きっていう気持ちをもてない自分が嫌なのかもしれない。

「好き」って言い切って関わっている方が羨ましいのかもしれない。

 

「好き」っていうそれだけで仕事にするって素敵だと思うんです。

たとえば、恋人と一緒にいるのは「好き」、それだけでいいなあって思います。

いろんな理由、例えば、やさしいから、かっこいいから、って

そんなのよりも、よくわからないけど「好き」のほうがいいなって。

 

やさしいを理由にしていると、それよりやさしい人がいたら

その人じゃなくてもよくなってしまうじゃないですか。

でも、よくわからないけど「好き」だと、

少々のことでは、その人を好きじゃなくならないと思うんです。

 

だから子どもが「好き」だからこの仕事をしています。って

もうとっても羨ましいことなんです。

でも、「子どもが好き」にはザワザワしてしまう。

よくわからないまま、昨日もそういう話を聞いていました。